「食」で地方と都会をつなぐ豊田有希のブログ。

山梨県身延町で都市と農村をつなぐ「田んぼできずなづくり」を主催。年間累計400人×6年の実績。女性総合職として19年勤めた一部上場企業を退職し、「食」で地方と都市をつなぐ豊田有希のブログ。数秘術×”独特のイラスト”×"カード”のオリジナルセッションで、ひとりひとりの背中も押し続けてます。

苦い経験。サポーターじゃなくて、プレーヤーな私。青学マネージャーな過去。

2015年の年始はとびきり嬉しいことからのスタートやった。

(今はもう年末やけどねっ)

それは、青山学院大学箱根駅伝で初優勝したから!!

母校ですけど、それだけじゃなくって…。


運動はあまり得意ではない私。
でも、走るのだけは好きでかけっこは得意。
高校で「陸上しよ!」って始めて短距離やってた。
予選落ちしちゃうくらいの普通の選手やったけど、陸上やった三年間はめっちゃ充実してた。

「ただ走る」っていうけれど、あの姿に感動しちゃうんですよね。もう、意志以外のなにものでもないし。
強い気持ちがなければ走れないし。

なので、箱根駅伝も大好きでよく観てました。
だから青学に入って、陸上部の長距離のマネージャーやってみたんです。柄にもなくあせる
箱根駅伝って、関西の大学だと出場できないんです。それって、すっごい貴重なことで。
しかも私が入学した年は確か記念大会で通常よりも5校プラスで出場校が増えるということで、当時は弱小の青学陸上部もギリギリ箱根にでれるかもしれないって話で。

でも、やってみると・・・
長距離マネージャーの仕事ってタイム測ることと、お茶作ることぐらい。
いや、長距離の経験者とかだったら、もっとできることあったと思うんやけど、何にもできない…。
週二回の練習(当時は大和グラウンドを使っていて遠かった…)がおっくうになったのはすぐのこと…

部員さんはというと、推薦で入ってきた人がだいたい学年に2人。
高校は有名校でそれなりに活躍して、駅伝が強い大学で頑張るより青学のネーミングにひかれた??(これは語弊あるかもだけど)タイプか、青学を箱根に連れてったるで〜〜という男気のある先輩たち。

ってことは彼らはプライドあるし、私たちジャーマネの出番なし、なんですよね。
しかも、彼らはグラウンドがある大和のすぐ近くに住んでるから練習に走ってきて、終わったら走って帰っちゃう。会話も少々。そんな感じで、なかなか溝が埋まらなくて、悶々とした日々。

役に立ってるんだろうか。
これって意味があるんだろうか。
って考えてた。
夏合宿とか行ったり、試合に行ったりもしたけれど、心はクールなまま。
弱くても自分が選手として走っていた時の方が、達成感も感動も比較できないくらいあった。

そして、2年間やって、辞めさせてもらった。
結論はマネージャーは向かないってことだった。
自分が成果をあげるためにしんどい練習を耐えるのは平気なんだけどなぁ。
自分はサポータータイプではなくプレーヤータイプなんだと身をもって体験した。
(いまならわかるよ、すっごく。でも、その時はやってみないとわからなかった)

2年で辞めてしまったことに後ろめたさもあった私ですが、2015年1月3日、総合優勝のテープをきった大手町でかつての先輩たちと再会して、在校中、一度も出れなかった箱根駅伝の、母校初めての優勝を喜びながら祝杯をあげた。昔と変わらずに暖かく迎えてくれた先輩たち。
それはそれは嬉しい出来事やった(*^_^*)
20歳の負い目が晴れた想いやった。

今年も「楽しく」走る青学生を応援してるよ!!

追伸
この時の、自分はサポーターではなくプレーヤーでないとイキイキしない、っていう体感は私の大事な宝物になったと思う。