「食」で地方と都会をつなぐ豊田有希のブログ。

山梨県身延町で都市と農村をつなぐ「田んぼできずなづくり」を主催。年間累計400人×6年の実績。女性総合職として19年勤めた一部上場企業を退職し、「食」で地方と都市をつなぐ豊田有希のブログ。数秘術×”独特のイラスト”×"カード”のオリジナルセッションで、ひとりひとりの背中も押し続けてます。

お父さんからのメッセージ

今日ね、昼間はホームパーティーにお呼ばれして、めっちゃ美味しく〜〜楽しい時間を過ごしたのね。


いろんな話したんやけど、母もいたからお父さんとの話にもなって。久々にいろんなことを思い出していた。

お父さんは2年前に亡くなったんやけど、私が高校生の時から人工透析しててん。約20年位。
人工透析って、知ってる人は知ってはると思うんやけど、うちの父は週三回、1日に3〜4時間くらいしてた。働きながら、会社の理解も得ながらね。

だから、やっぱり体がしんどい、そういうお父さんをいっぱいみてきた。私は大学生から家を出てたから帰省したときとかが主で、一緒に暮らしていた時間は短かったけど、子供ごころに罪悪感を感じてた。

透析をしてるってことは、それをしなかったら死んでしまうってこと。家族で唯一血液型の合う私の腎臓を移植することもできたけど、お父さんはそれを望まなかったし。首を縦にはふらなかったね。

だから、そんないつ死んでもおかしくないお父さんを置いて、離れて暮らしている自分に罪悪感があった。
お父さんやお母さんは大阪やったから。私は東京でね。

なんつーか、そう感じさせる人やったなって。
どう思ってたかは知らんけど。

でも、だからこそ私はこう思ってた。

お父さんに何かあったとき、自分は死に目に会えない距離にいる。でもそれを選んでるんやから今いる場所で精一杯生きよう、って。
けなげやったなぁー。よね?


それで、さっき、ふと、もーお父さん、いけてなかったな〜〜って思った。子供に罪悪感感じさせたらあかんやろ〜〜って。

『お父さん、病気やけど、それは自分の責任でやったことやから、お前たちは好きに生きろ。俺も精一杯生きてるからな!!』

そう言って欲しかったなぁって。

そう言ってくれてたかもしれないんやけど、そう感じさせる人ではなかった。笑。ごめん、お父さん。

でも、ふと気づいた。
しかも、さっき!!遅っ。

お父さんが亡くなってもう2年、私が抱いていた罪悪感はもうなくなっていいんちゃうか、って。

お父さんが亡くなったことは、私へのメッセージだったんだぁえーんって。

『俺のことはもう心配するなよ。お前の人生を生きろよ。』

『ただし、頑張り過ぎるなよ』
(これは、父の私に対する口ぐせ)

あ〜〜泣けた。

お父さん、この記事読むかもしれないから、お父さんの大好きな家族の写真のっけとこ♡

ありがとね、お父さん。

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